Stories of Manufacturing#09
光の質と可能性を求めて 半導体レーザー開発
世界をとらえる“光の目”
目には見えない“光”が、私たちの暮らしを変えています。
レストランや物流倉庫では、ロボットが空間を認識しながら障害物を避けて荷物を運び、オフィスや車室空間では、空気中の花粉やPM2.5の濃度を感知する空気清浄機や空気質モニターがひろく使われています。
スマートフォンの顔認証システムでは、顔の表面に数万個以上の赤外線ドットを照射することで顔の立体構造(深度情報)を計算し、至って手軽であるにも関わらず、高度な情報セキュリティーを担保しています。
これらの日常的な技術を実現しているのが、半導体レーザーを搭載した小型のレーザー装置です。
小型で省電力、しかも高速で動作するため、民生モバイル機器をはじめ、医療・ヘルスケア、産業機器、車載までの幅広い分野で活用されており、さらなるアプリケーションの多様化と市場の成長が予想されています。
「見えない光で空間や対象物を精密に測る。」
このセンシング分野における技術の進化、製品化、そして社会への定着と応用範囲の拡大。その背景には、40年以上にわたり脈々と培われてきた半導体レーザーダイオード技術の歩みがあります。
半導体レーザーの黎明期
フォトニクス事業部 商品開発課PMEG 技術主査 吉田 晃久 吉田 晃久
入社以来、レーザーダイオード・LEDに関する
商品企画・商品開発ばたけを一貫して歩んできた。
安定しない市場を相手に立ち回ってきた風格が滲み出る。
そのためにロームが業界に先駆けて目をつけたのが「MBE法」と呼ばれる結晶成長技術でした。ちょうどその頃は社名を現在の「ローム株式会社」に変更した頃で、次期開発商品の候補として「薄膜EL」や「液晶」といった候補の中から絞り込まれたのが「半導体レーザー」であったといいます。
研究論文で紹介されるほどの先端技術であったMBE装置に強く魅了され、当時の社長を説得してパリまで買い付けに飛んだ・・・
そこまでは順調でした。しかし、その先に果てしなく険しい道のりが待っていようとは、当時は想像すらしていませんでした。
吉田
「とにかく、製造装置も評価装置もないところからスタートしました。
MBE法というのは超真空中で高度な加熱温度制御を行いながら、原子単位で結晶の厚さや組成を制御できる技術なのですが、実際に使ってみると性能的にはまるで暴れ馬のように全く安定しませんでした。
なんとか使いこなし方を模索しながら出来上がったチップをすぐに評価して、その日中に製造条件をフィードバックをかけ、また製造→評価するという繰り返しでした。もちろん、その評価装置も世の中には販売されていなかったのでデバイスエンジニアが自ら作り上げるといった状態でした。」
超真空の中で結晶成長を行う当時の最先端技術を採用。海外を含めた他メーカーに先駆けて、ロームがその先のスタンダードをいちはやく生みだした。
MBE装置自体も根気強く社内で何度も改良を重ねた結果、ようやく高品質で安定した結晶層を作り出すことに成功し、1984年には量産技術を確立することができました。
その当時の出力はわずか5mW程度。
安定したレーザー出力と光の質、そして反射光を正確に捉えるための繊細な構造を両立させるには、多くの試行錯誤が必要でした。メーカーの方々とともに二人三脚で開発を進め、結果的には事業スタートからわずか数年という短い期間で、製品化という節目を迎えることができたのです。こうした取り組みはやがて、他メーカーや業界全体を巻き込みながら、エレクトロニクスの進化と社会の発展を静かに後押ししていく一助となっていきました。
エレクトロニクス分野の成長とともに
光ディスクの需要は、瞬く間に世界中で急増し、市場の様相を大きく変えていきました。わずか10年のあいだに、CD-ROMから書き込み可能なCD-R、そしてDVDへと進化が進む中で、常にレーザーダイオードの性能向上が求められてきたのです。
吉田
「CD-Rの時代になると、書き込み速度の競争が一気に加速しました。12倍速、48倍速と、次々とメーカーがしのぎを削るなかで、より速さを追求する技術開発が進められたんです。倍速書き込みにはディスクを高速回転させる必要がありますが、そのぶんレーザーの出力も上げなければならない。しかも、安定した光を常に出し続けなければいけない。そうした要求に応えるかたちで、レーザーダイオードの出力や特性も飛躍的に向上していった時代でしたね。」
こうした技術革新は、やがて光ディスクを超えて、急速に拡大していくデジタル社会全体、そしてエレクトロニクス分野へと応用の裾野を広げていきました。
吉田
「一つでも素晴らしいものができたときに、なぜそれがうまくいったのかを丁寧にひもとく・・・それがすごく大切だと思うんです。逆に、うまくいかなかったことについても、失敗のままで終わらせずに、そこから何かしら次のヒントを見つけ出す。そういう姿勢こそが、エンジニアとしての実力、あるいは一つの才能なのではないかと感じています。」
何ひとつ無駄なことはない。そうしたひとつひとつの試行錯誤と地道な積み重ねこそが、ロームが脈々と受け継いできた“ものづくりへのこだわり”であり、エンジニアのスピリッツを育む土壌になってきたと、吉田氏は語ります。
蓄積された技術と知見は、次第に新たな応用分野を切り拓き、レーザーダイオードの可能性をさらに押し広げていくこととなります。
新たなニーズと高出力化
2010年代に入ると、プリンターやプロジェクターなど、新たなアプリケーション向けの製品開発が本格化しました。
レーザーダイオードが持つポテンシャルへの期待は以前から高く、なかでも「レーザーをより遠くまで飛ばしたい」というニーズは、潜在的に市場の中に根強く存在していました。それに応えるかたちで、高出力化への要求も年々強まっていきます。
ちょうどその頃、家庭用の掃除ロボットが急速に普及しはじめ、「センシング用途」としての半導体レーザーに対する注目も一気に高まっていきました。そして2019年、従来は数百mWだった出力が、一気に25W級へとジャンプアップした製品の量産がスタート。
市場が求める性能水準は、次のステージへと突入していったのです。
フォトニクス事業部 部長 山本 忠司 山本 忠司
総合半導体メーカーとしてのロームの中で「光技術」を専門として扱う「フォトニクス事業部」。その少し異色な領域を担う総勢65名のエンジニアを率いる部門長。
山本
「目指しているのは、高速道路を走るクルマが、500メートル先の障害物を正確に捉えることです。」
そう語ってくれたのは、フォトニクス事業部の山本さん。
近年、自動運転技術の実用化に向けた要素技術の中でも、LiDAR(Light Detection and Ranging)は最重要アイテムとして注目を集めています。特に欧州を中心に、運転支援に関する国際的な基準づくりが進むなかで、自動車メーカー各社からの要求水準も、より一層厳しくなってきているのだといいます。
山本
「直線が続くアウトバーンでは、150km/hを超えるスピードで走行するケースも珍しくありません。たとえ片側通行であっても、ブレーキの制動距離を考えれば、500メートル先を見通すという目標値は、決して過剰ではないんです。それを実現するうえで欠かせないのが、“レーザーをどれだけ正確に、そして遠くまで飛ばせるか”という技術なんです。」
mW級からkW級へ・・・!
LiDARの性能としての「長距離化」に向けたもっとも有効な対策はレーザーダイオード自体の「高出力化」です。
ロームは、縦方向に素子を積層する「マルチスタック構造」や、横方向に複数の素子を並べる「マルチチャネル構成」によって、パルス最大出力145Wを達成する「RLD90QZWx」シリーズを開発しました。
ロームならではの技術が詰まった「マルチスタック構造」と「マルチチャネル構成」を採用し高出力化を実現
山本
「2020年代に入る直前に、数百mWから一気に<W級>まで高出力化を実現したんですが、そこからわずか5年ですでに<kW級>まで視野に入れた開発をすすめています。ではただ、単純にレーザーの出力を上げるだけで、LiDARの長距離化が実現できるのか?というと決してそんなことはありません。」
そう語ってくれる山本さんが、常にこだわりを持って取り組んできたもの・・・そのキーワードは「光の品質」です。
光の品質 ー高精細化ー
ロームのレーザーダイオードの大きな特長のひとつが、3Dスキャンニング画像にした際の精度=解像度の高さにあります。
狭い発光幅で光の密度を上げると同時に、発光幅の端から端まで均一に発光させることで取得画像の高精細化を実現。
遠くの人や物もはっきり高精細に描画することでより正確な検知に貢献します。
一般的なレーザーダイオードでのスキャンニング画像と比べ検知物の境界線がクリアに表現されているのがわかる
田中
「開発当初は、LiDARは長距離を測定するために<光の質>よりも、いかに大きな出力を出せるかという<光の量>に拘っていました。しかし、LiDAR製品の特長を知るほど、狙った場所にいかに綺麗に光を当てられるか、ということが世の中で望まれる<分解能>を目指す上で非常に重要であることがわかってきました。」
そう語ってくれたのは、研究開発本部に所属していた頃から現職まで、一貫してレーザーダイオードの開発に携わってきた田中氏。
フォトニクス事業部商品開発課PMEG 技術主査 田中 良宜 田中 良宜
開発過程では、予測した通りの結果が出る場合もあれば、その逆で、予測しなかった結果になることも多い。そんな時は常に「原理原則」に立ち返ることを大事にしているという。
田中
「そこで多くのお客さまの声を聞いてまわったところ、対象物に照射した時にレーザー光自身の<中央>と<端>で強度が異なることが検知精度低下に繋がっている・・・という言葉が多くありました。そこで、どうやったら発光の均一性を向上できるかを検討し、レーザーダイオード内を流れる電流の動きと光の形状を制御することに繋がりました。」
電気特性に加えて光学特性の設計に関する深い知見が必要になる点が、他の半導体製造との大きな違いだといいます。
田中
「そういった意味も含めて製品開発においては、構造設計、特にレイアウトが一番の肝となります。微妙な位置や配線によって大きく性能が左右される緻密な作業なのですが、そこで、ひとつ壁となっているのが、IC設計で行えるようなシミュレーション技術がこの分野ではまだまだ確立されていないという点です。
特にLiDAR向け高出力レーザ-ダイオードについては、一般的な評価設備も世の中にはなく、評価環境の開発も必要だと常々感じています。」
何十もの設計パラメータの中から、互いに矛盾のない最適な組み合わせを見つけ出すには、PC画面に向かってのレイアウト作業と、多岐にわたる実証実験との間を何度も往復しながら、地道に最適解を探り続けていくしかありません。そしてその積み重ねこそが、確かな目標到達への唯一の道となるのです。
開発過程においてはトライ&エラーを繰り返す日々が続くことも。その中で「実証」とこれまで培ってきた「経験」の融合がなによりも重要だという。
光の品質 ー波長温度依存性ー
もうひとつの大きな特長は「波長温度依存性」の大幅な低減に成功したことです。
藤堂
「車載用LiDARは屋外で使用されることが前提であり、特に昼間の走行では強い太陽光の影響を受けやすくなります。
そもそも太陽光は非常に広い波長スペクトルを持つため、LiDARが使用する波長帯と重なり、受光器にとってはノイズ成分として混入してしまうのです。その対策として、特定の波長のみを透過する太陽光カットフィルターを使用しますが完全には排除しきれず、検出精度の低下につながることもあります。
さらに、もうひとつの課題が温度によるレーザー波長の変動です。
半導体レーザーは温度が上昇すると、発光波長がレッドシフトしてしまう特性があり、環境温度が変化すると波長や出力が変化し、結果として測定誤差を引き起こす可能性があります。」
フォトニクス事業部 商品開発課1G 技術員 藤堂 凌 藤堂 凌
製品評価試験の値だけでは推し量ることのできない「実用レベルでの使いやすさ」を追求することが開発者としてのミッションだとの力強い言葉も。
その2つの課題を一気にブレイクスルーしたのがロームの「RLD90QZW8」。
独自の素子開発技術・構造設計さらには放熱特性を改善したパッケージ技術。これらを掛け合わせることで、レーザー波長の温度依存性を一般品と比べて66%減まで低減させることに成功しました。
温度依存性を抑えることが出来たことで、より帯域幅の狭い太陽光カットフィルターでしっかりと太陽光ノイズの影響を減らすことが出来、結果的に、LiDARの測距距離の延長と精度の向上、さらにはセットの小型化を実現しています。
より狭い帯域幅の太陽光カットフィルターを使っても、波長が外れにくくなり、受光効率や測距精度が向上する
レーザーダイオードならではの量産技術を一つひとつ積み上げながらつくりあげてきた前工程の製造設備
レーザー半導体の量産できる技術を持つメーカーは、実はそれほど多いわけではありません。
いまなお市場参入が限られている背景には、構造設計から結晶成長、微細加工やアセンブリ工程に至るまで、一つひとつに高い専門性と長年の経験が求められるという厳しさが挙げられるでしょう。
そうした中でロームは、本コンテンツ前半でもご紹介したように、40年以上にわたって前工程からパッケージングまでのノウハウと知見を着実に積み重ねてきました。「波長温度依存性の抑制」といった繊細かつ難易度の高いテーマに対しても、この長い時間の中で培ってきた地道な積み重ねがあったからこそ、たどり着けた到達点だといえるでしょう。
進化と応用の先を見据えて!
ロームの半導体レーザー技術は、測距やセンシングの枠を超えて、今まさに新たな展開を迎えようとしています。
本ページ内の動画コンテンツ内では紹介しきれなかった話題のひとつが、レーザーダイオード事業化から40年の節目にあたる2024年に発表された、全く新しい赤外光源「VCSELED™(ビクセレッド)」です。
VCSEL(垂直共振器型面発光レーザー)とLED、それぞれの特長を融合させたロームの独自技術で、光の波長幅が非常に狭く、視認性の低い“赤く見えない光”を実現したことが最大の特長です。
山本
「VCSELED™は、これまでになかった新しい“光のあり方”を提案する製品です。
2024年10月から民生用、2025年から車載用のサンプル展開を予定していましたが、ありがたいことに発表直後から多くの反響を頂いておりまして、開発のスピードを加速しています。」
予想以上の市場の反応に、山本氏の語り口にも手応えがにじみます。
山本
「特に車載用のお客さまからからドライバーモニタリングシステム(DMS)用の光源として高い関心を寄せていただいています。これまでのLED光源では発光波長の幅が広いためドライバーに赤い光が照射されてしまう“赤見え”が課題とされてきましたが、VCSELは発光出力スペクトルにおける、ピーク波長の半分の出力強度における波長幅が狭いので、その問題を根本から解決します。
さらに、パッケージの厚みはわずか0.55mmと極めて薄型で、車載はもちろん、モバイル端末や医療機器など多様な分野への応用も期待されています。」
車載用のLiDARの本格的な需要の拡大だけでなく、データセンター等での光による情報伝送技術の研究開発など次の時代を見据える山本氏のまなざしに迷いはない。
開発と量産体制はすでに加速しており、2025年には車載向けの本格展開も見据えられているとのこと。
変化の早いエレクトロニクスの世界において、光でひらかれる応用の領域は、さらに広がり続けています。その挑戦の先にあるのは、暮らしの中に静かに息づく「見えないけれど確かな光」。
次の40年を見据えながら――ロームの新たな物語が、いま静かに動き出しています。
吉田
「ロームがレーザーダイオードの量産を開始したのは1984年になります。ですので、開発プロジェクトが事業化されたのはその3〜4年前ぐらいでしょうか、1980年代に入ってまもない時期だったと思われます。40年前になりますので、さすがに私も当時の開発の状況というのは人づてに聞いたことの方が多いのですが(笑)まずは音楽用の光ディスクク=CDプレイヤーのピックアップに向けた製品開発でした。780nmの波長を持つ赤外線レーザーをディスクに照射して、その反射光の強弱を読み取ることでデジタル信号を取得する方式です。それまではアナログレコード盤とカセットテープが主流でしたので、非接触でデータを読み取ることが画期的だったんですね。」