「ソーシャル・デバイス」Special 対談

日経BP社が運営する技術者向け情報サイト「日経テクノロジーオンライン」に、
2015年7月から2016年2月まで掲載したコンテンツを許可を得て転載しています。

静かに社会の大変革を引き起こすIoT、果敢な挑戦こそが新市場への扉を開く

社会に大きな変革をもたらす可能性を秘めたIoT(Internet of Things)。この概念をさまざまな領域に「実装」するうえで、電子デバイスが担う役割は大きい。そこで、IoTを巡る動きの今後の展望や、IoTの普及を図るために電子デバイス・メーカーに求められる姿勢などについて、ロームの代表取締役社長を務める澤村諭氏と、日本におけるIoTの第一人者として活躍する東京大学 先端科学技術研究センター 教授の森川博之氏が議論した。

森川氏
森川 博之氏
東京大学 先端科学技術研究センター 教授 工学博士

 IoTを巡る動きを新しいトレンドだと捉えている人は多いと思いますが、本質は従来から続く、いわゆる「IT化」や「デジタル化」だと考えています。ただし、これまでIT化やデジタル化というと、決まって生産性向上のための手段でした。IoTという新しい言葉で表現されるようになって、これに「価値創造のためのツール」という役割が加わりました。ここが大きな変化だと思います。

 IoTという言葉は、IT化やデジタル化の動きを、より広い分野へと広げる効果ももたらしたのではないでしょうか。IoTは、「モノのインターネット」とも呼ぶことがありますが、「モノ」という言葉が使われたことで、より多くの分野の人たちがIoTを意識するようになったと思います。

澤村氏

 IoTは、社会全体を大きく変えると期待されています。利用が拡大する局面では、さまざまなビジネスチャンスが生まれるはずです。ただし、IoTにはかなり広い領域の技術が関わります。そのすべてを1つの企業で網羅することはできません。IoTの世界でロームは何に貢献できるのか。どのような強みを出せるのかという問題を、いつも念頭に置きながら、IoT事業に取り組んでいるところです。

 リアルな世界からインターネットを介して膨大なデータをクラウドコンピューターに収集。そこでデータを処理した結果を基にして制御することで、リアルな世界にあるシステムを最適化する。IoTの概念を形にした仕組みの基本は、このようになると思います。この中で、ロームが貢献できるのは、主にリアルな世界からサイバー空間にデータを上げる仕組みの部分だと考えています。

"ガテン系"はB to B企業が先導

森川氏

 IoTを巡る動きは、大きく2つがあると思います。私はそれぞれ、"スマホ系"および"ガテン系"と呼んでいます。"スマホ系"は、シリコンバレーのスタートアップ企業などが取り組んでいる、斬新なアイデアを基に新規の製品やサービスを開発する動きです。こうした製品やサービスは、コンシューマー向けが多いと思います。もう1つの"ガテン系"は、既存の社会システムの裏側で、地味に静かに進む動きです。さまざまな現場に直接関わることから"ガテン系"と呼んでいます。"ガテン系"のIoTは、社会の見えないところにじわじわと広がります。そうして、社会や人々の暮らし、ビジネスを大きく変えるのです。

 例えば、すでにアメリカで実用化されている例に、「スマートゴミ箱」があります。中にたまったゴミの量を検出して、一杯になると無線通信回線を使ってセンターにその旨を知らせます。すると担当者が、ゴミを収集に行くわけです。一般の人から見れば、ゴミ箱の役割は何も変わっていませんが、このシステムは確実に世の中を変えているといえるでしょう。

新規市場攻略の絶好の機会に

澤村氏
澤村 諭氏
ローム 代表取締役社長

 IoTというと、華やかな"スマホ系"の成果が、注目を集めがちですが、実は、地味な"ガテン系"の方が、社会に与える影響が大きいと思います。こうした"ガテン系"を得意とするのは、いわゆるスタートアップ企業ではなく、B to B分野の事業を手掛ける既存の企業ではないでしょうか。

 1958年に抵抗器メーカーとしてスタートしたロームですが、創業当初より品質を第一とすることを企業目的に掲げてきました。現在は、事業の90%を半導体デバイスが占めており、自動車向けの販売比率を高めながら、近年は産業機器市場の開拓にも力を入れています。IoTが、産業機器や社会インフラに普及する機運が高まれば、私たちが提供しているIoT関連のソリューションに対する関心が高まり、新規参入の機会も増えると期待しています。

 この際に重要なポイントの1つとなるのが、IoTシステムを構築するうえでの"ルール"。つまり「標準化」です。すでに、IoTに関連してさまざまなところで標準化や、デファクト・スタンダードを狙う動きが始まっています。この動きの全体像を的確に捉えながら、正しい方向を見極めなければならないと思っています。

 ところで、静かに地味に進む"ガテン系"のIoTがもたらす変革は、どれくらいの時期に実感できるようになると考えておられますか。

図1 IoTに対するロームの取り組み
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30年~40年かけて進む変革

森川氏

 IoTが社会に定着するには、長い年月がかかるでしょう。このところIoTがさまざまな分野で話題になり、関連分野に投資する企業も増えています。こうした「バブル」ともいえる状況から30年~40年たつと、本物になると個人的には考えています。

 1840年ごろに英国で"鉄道バブル"がありました。多くの企業が、こぞって当時の最新技術だった鉄道に投資しました。ところが実際に英国で鉄道が黄金期を迎えたのは、それから30年~40年先のことでした。

 自動車や電化でも同じようなことがありました。自動車や電化が原因となり市場に起きた"バブル"のような状況が、1929年の世界大恐慌を引き起こした1つのキッカケとされています。その後、家庭の電化が進み、自動車が社会インフラとして定着したのは1950年代、60年代のことでした。

 今回のIoTを巡る動きの始まりは、2000年ごろのインターネットバブルだと考えています。その後、2008年の「リーマンショック」でIT市場は厳しい状況を迎えましたが、ここから30~40年後にIoTのトレンドが本物になると私は見ています。

澤村氏

 長い年月がかかるとはいえ、IoTが社会を大きく変えるのは間違いありません。例えば、IoTの技術を使って地盤の状態を常時監視できるシステムを実現すれば、土砂災害をなくすことができるでしょう。老朽化によるトンネルや橋の崩落など、社会インフラの事故も防げます。私たちの事業でいうと工場が大きく変わるでしょう。生産設備の状態や周辺環境を常時モニタリングすることで、異常や故障の予兆を把握し、事前に対応することで生産ラインの停止を未然に防ぐことができます。こうして「止まらない工場」を実現できるようになれば、製造業のビジネスはかなり変わるはずです。

新たな付加価値をもたらすIoT

森川氏

 医療も大きく変わります。病院に行かなければ測定できなかったデータが、家庭やオフィスなどあらゆる生活シーンで測定できるようになるでしょう。そうすれば、病気になってから病院に行くリアクティブ(reactive)な医療から、病気になる前に病院に行って発病を防ぐプロアクティブ(proactive)な医療へと変わるでしょう。

 IoTの本質は、生産性を高めて新たな価値を生み出すことです。IoTのアプリケーションのほとんどは、人手でもできることです。ここにIoTを採り入れることで、新たな付加価値を創出できるわけです。IoTがもたらす変革は確実に進むでしょう。ただし、見えないところで進むのでインターネットのときのように、一般の人々が直接感じる大きなインパクトはないと思います。

澤村氏

 IoTの概念を採り入れたシステムの開発は、水面下で始まっています。ロームは、リアルな世界からコンピューターにデータを上げる仕組みの部分を中心に、電子デバイスをベースにしたソリューションを提供しています。

 具体的には、大きく4つの技術を中心に展開します。データ収集に欠かせないセンシング・デバイス、センサが収集したデータを処理するLSI(ASIC)、データをコンピューターに送るための通信用デバイス。さらにこれらのデバイスを含むシステムを制御するソフトウェアです。あらゆる機器をネットワーク化するためには、小型・薄型化、そして低消費電力化が重要であり、ロームでは新工法・新技術で世界最小を実現した「RASMIDシリーズ」をはじめ、あらゆるデバイスにおいて小型化を追求しています。

 そしてセンシング・デバイスでは、高精度かつ幅広いラインアップを誇ります。例えば、モノの動きを検出するための加速度センサやジャイロセンサ。環境情報を検出する気圧センサや照度センサ、地磁気センサなども提供しています。さらには脈波センサ、土壌センサなど、新しいラインアップも拡充し、農業分野や医療ヘルスケア分野でのニーズにも応えていけるよう開発を進めています。

図2 世界最小パッケージで応用を広げるロームの気圧センサ
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果敢に挑む姿勢が必要

澤村氏

 IoTに関連するビジネスを展開するうえで難しいのは、かつてのように複数の企業で市場を分かち合えるような大きな需要をもたらす単一のニーズがなかなか見当たらないことです。市場に潜在する多種多様なニーズを一つひとつ拾い上げて、それに対応するソリューションを迅速に提供しなければなりません。このためには、大きな需要を前提に製品を大量生産していた時代の生産体制や製品開発プロセスを見直す必要があります。

森川氏

 その課題を乗り越えるには、敵の領地に最初に踏み込む「海兵隊」のように、未知の可能性を秘めた市場の開拓に積極的に挑むことが必要です。これを繰り返して、少しずつ需要を掘り起こすしかないと思います。もっとも、全社を挙げて「海兵隊」になってしまうと、会社が潰れてしまいます。既存のビジネスで経営を維持する部隊と、新しい市場に挑む部隊の両方を設ける必要があるでしょう。

澤村氏

 その通りです。実はロームは、IoTの普及を背景にしたセンシング・デバイスの新しい市場を開拓するために、「センサ事業推進」という部門を新たに設けました。ここにはセンシング・デバイスの技術者だけでなく、LSIや通信、ソフトウェアなど関連する技術を担当する技術者も集めており、センシング・デバイスを核とした多彩なソリューションを提供できる体制を整えています。ロームにとって「海兵隊」の役割を担う部門です。

 新しいニーズを掘り起こすうえでは、大学との連携も必要だと考えています。企業の場合は、ビジネスとして成立させることが前提になるため、思い切った取り組みを始めるといっても限界があります。新しい技術が豊富にあり、将来を見据えた研究をされている大学と協力すれば、それぞれ技術を生かしながら、新しいニーズを効率よく掘り起こせるのではないでしょうか。

森川氏

 大学は、人件費がゼロの"中小企業"です。企業ではなかなか取り組めない課題にも、大学ならば挑戦できます。実際に私の研究室では、新しいアプリケーションを開発するために学生を、さまざまな現場に送り込んでいます。すると予想していなかったような新しいニーズを拾い上げてきます。

 こうした能力は企業の技術者にも求められるでしょう。市場のニーズが明確だった時代に技術者は、「考える」と「試す」という作業を繰り返していれば付加価値を生み出せました。IoTのようにニーズがなかなか見えない分野では、さらに「気付く」と「伝える」という2つの役割が求められます。つまり、まず市場に潜在しているニーズに「気付く」。続いて「考える」と「試す」を繰り返して、気付いたニーズに対応する技術を開発する。さらに、その技術を周囲に「伝える」ことで、ようやく需要が創出します。いまや技術者にも、マーケティングの能力が必要なのです。

澤村氏

 これまでのように既存の技術の改良や改善で付加価値を創出するのは難しくなるのは確かです。IoTの時代に向けて私たちは、ビジネスの仕方や考え方を変えていかなければなりませんね。

「ソーシャル・デバイス」Special 対談

新しい社会を創る先端技術

2016

社会を変革する自動運転技術 電子デバイスの進化が普及を加速 実行の局面を迎えた産業IoT 既成の枠を超えた連携が必須に 高度化するコンシューマ機器開発 マインドを変えて新たな局面へ 新たな社会を創る新産業革命 高効率化の技術が後押し

最先端技術から見える新しい社会

2015

静かに社会の大変革を引き起こすIoT 果敢な挑戦こそが新市場への扉を開く 産業や暮らしを変えるIoT センシング技術の進化が普及を加速 社会とともに進化する産業用機器 電子デバイスが高度な「省エネ」を実現

明日の社会を創る革新技術

2014

情報通信技術で進化する日本の農業、従来の枠を超えた連携が革新を後押し 消費を抑えた持続可能な社会へ、高効率化や小型化の技術で貢献 ともに進化する自動車とエレクトロニクス、先進技術の融合がもたらす社会革新

技術が拓く新しい社会

2013

社会を意識した取り組みが加速、着実に進むインフラの技術革新 社会との親和性を高めるロボット、パワーデバイスが機動性向上に貢献 建設業界で進む高度なエネルギー管理、電池不要の無線通信技術が一つの解に 世界が直面する課題に挑む医療機器、次世代半導体が技術革新に貢献